Teson Taisei

遊牧民の人生

トライアスロンをでた理由 第1章

 

今回クリエイターとは無縁のトライアスロンという競技をやった。
ある日ニュースでトライアスロンについてやっていた、そん時ある番組を思い出してYouTubeで調べた。
知ってる人も多いけど、「行列のできる法律相談所」昔めっちゃ見てて島田紳助の名言とかに感銘受けてたw
行列の特集でトライアスロンに挑戦する芸能人が4人いてそこで初めてトライアスロンという競技を知った。
見たときは、なんなんこの過酷な競技ドMやんって思ってたけど。その挑戦の会を見たときにわけわからんくらい感動した。
余談だけど、安田美沙子がそのときめちゃんこ好きだったから余計に見てしまったのもあるw
その挑戦の大会は・佐渡トライアスロン スイム3.5㌖バイク159㌖ラン42.195㌖
人間にこんなことできるのかと思ったw
だけどできちゃうからやるんですよ。人間の技量が頭の中で広がった。
俺もいつかやって見たいとその時思った。

 

話変わって、
フリーになって2年半(大学含め)が過ぎた
映像も流行ってみんなやりたい映像をそれぞれやっている
現におれは大学卒業してフリーで好きな映像で生きている。
クライアントワークや現場も経験してきたし個人的にも経理やマネジメントをすることも増えて幅広くやることが増えてきた。
でも一つ引っかかることがあった、たしかにやりたいことで生きてるし好きな映像をやっている。だけど死ぬ気でやってるか?って言ったら NOって答える。
サッカーやってたときは、すべてが死ぬ気ってわけじゃないけど目の色変わるくらい本気でやってた。そういう環境があったこともそういった仲間の集団だったからってのもあるけど必死こいてた。なんでそんな必死こいてたってことを深掘りしてみた。

 

まず、好き、勝ちたいから。上手くなりたいから。仲間が頑張ってるから。応援してくれる人がいるから。応援してもらいたいから。かっこよくなりたいから。負けたくないから。


適当に深掘りしてみたけどこんな感じ

 

映像も
好きだから、感動を与えたいから。クリエイティブになりたいから、良い映像をつくりたいから。稼ぎたいから。

 

こーゆこと考えて毎日過ごしててたどり着いたのは結局「やるか・やんないか」に結論が出た。

 

世間でも俺でも これやりたいあれやりたい、スタジオ使ってエモいの作る
打ち合わせまでして予定合わなくてやんない。世界変えてやる、プロジェクト起こす、モチベ高い時だけ熱量こめてやりとりするけど数日経ったら冷める。

 

なんか生きてないなーって思った
坊主にして、必死こいて、結果出なくて悔しいけど「やって」挑戦してた経験あったから尚更むしゃくしゃした
映像も好きでやってて某株式会社TのOに出会って仕事になったけど
大学生だった俺はそこまで稼ぎなくて大学卒業してから就職も頭に入れてたけど
映像やりたくてもっと人に評価されたくて必死にやってたら仕事も増えてきて卒業してから個人でやることができた。稼げたり稼げなかったりもあるけど、やっている。だから今がある。
だけど目標が高くなればなるほど難しくなってくるのは当然。


映像以外でもそうだけど、多分俺的に、やりたい成し遂げたいって思いはあっても思い続けられないからできないんじゃないかなって思った。

 

最近の事例がある。
ある愉快な仲間たちと宮古島に行くことになった。はじめましても多かったけど俺のキャラ的に誰でも基本仲良くなれると思ったからすぐ仲良くなった。
過ごす中のある日にサーフィンをすることがあった、人生で一回しかやったことなくてその時は全然できなかったけど宮古島でやったらガンガン乗れて、俺プロやん思って調子乗って楽しくなって1ウェーブ乗って終わるたんび猛烈なパドルをして早く波乗りたいから戻って乗っての繰り返しをした。インストラクターに「お前のパドルみたことない」言われたけど早く戻って波乗れればなんでもいいw
宮古島でサーフィンに魅力を感じた俺は、サーフィンやりたいけど撮りたいって思考になって速攻プロサーファーに連絡した。
宮古島から帰ってきて次の週に会って、次の週撮影して、動画作ったら、サーフィンを取ること【ウェットスーツだけどw】が仕事になった。
自分の直感を思い続けたら形になっていた。

そんなに難しくない。
ただ自分の思ったことを「やったら」ただ現実になった。
サッカーの案件も自分が思ってたらできた。
現に憧れていた選手も撮れた。

イギリスのセブンシスターズ に行った時もそうだった、大学2年の時アナザースカイで見た瞬間俺ここ卒業したら絶対行くって思い続けて

まじで行った。セブンシスターズ の感情が最近の中で1番思い続けれたかもしれない。

 

・やるかやんないかの前に思えるか思えないか。

 

そんなことを思うなかで、現実うまくいかないことも腐るほどある。
こういった経験をしてきたからその経験から直感で感動したことを現実にして挑戦する。それがトライアスロンだった。


映像で見て感動して、身体動かしたくて、達成感味わいたくて。
18年間体で頑張ってきたからこそやれると思った。

 

あとは本当にやるかどうか。
お金かかるし社会人1年目のフリーだからそこに費用かけず仕事のための時間とか費用とか思うかもしれないけど俺は必死こいて何かをやれるものは仕事するより生きている。
ぶっちゃけ参加費用23000円
当然高いって感じるけど、俺バカだからこの費用払ったらやるしかなくなるやん最高って思ってしまった。こんな状況作れて自分にやる気を与えてくれるなんてある?
費用が逆にモチベーションを上げてくれた。
ラソンの参加費8000円とか都合あったらやらなくなる。感動してやりたいって思わせてくれて、やるしかない状況作らせてもらってありがとうって感じw

何事においても思いは大事だけど環境作りが最大の近道。

そして挑戦の日を迎えた。

正直トレーニングはあんまりできなかった。
だけど会場に来た。参加した。やってる。完走した。できると思ったから。やれると思ったから。ただそれだけだけど、気づくこともたくさん見つかった。


いや気づかなきゃいけないことがたくさんあった。

 

それは心の中に秘めておこう。
そしてこういったことを人生にしていく。
発言は良いいことだけど、やれ、思え。

 

『やるかやらないか』

トライアスロンに参加した理由の一つでした。


もう一つはまた今度時間あるときに書きます。

 

俺は次の挑戦のため環境をつくります。

 

ボキャブラリーばっかになってしまったが。
伝わると信じてますw
ちなみに国語は小学校から高校まで1ばかりなので
そこは配慮してください。

 

Teson Taisei

動画の原点

動画を始めた原点。

 


昨日あるサッカー選手に言われた。

なんでサッカーずっと本気でやってきたのに、

動画にはまって仕事してるん?って、、

 


そこで今日朝から動画の原点を深掘りしてみた。

 


そもそも俺は景色に敏感で感動することが多かった。

小学生の頃、あるテレビ番組で「世界の絶景100選」がやっていた。

俺は見るたんび感動して、録画して何回も見た気する、、

世界遺産をテレビで見てから、小学生の夏の課題である自由研究のテーマは世界遺産をやった。

気づいたら3年連続とかやってたわww

当時覚えてるのが、マチュピチュモン・サン・ミシェル、グランドキャニオン、エアーズロック

とか研究してたのが記憶にあるわ。

 


景色も、もちろん感動するけどもう一つ振り返って敏感なことがあった。

それは、結果に対する感情。小さい頃から泣いたり驚いたりしてたな。

 


そして人生の生活の一部だったサッカー。

3歳から初めて最初は母さんの勧めで始めたけど、

マジで練習に行くのが嫌だった。仮病使って休んだり、泣いて行きたくないってだだこねたり。

それでも続けてたら自然と好きになってて、家でもやるくらいなってた

だけど、やっと慣れて楽しくなってきたときに親父の仕事の転勤が決まって長野に行くことになった。

死ぬほど嫌だった。。嫌すぎて家出した記憶あるわw

でも結果が出た以上しょうがなかった。

初めて過ごしたことのない環境にいくのは精神的にきつい、

方言の違いや、利便性の違い、

だけどサッカーはそんなもんどーでもよかった。

新天地ですぐ慣れたのもサッカーがあったからかもしれない。

 


そんで中学2年生の時長野県選抜でフランス遠征に行くことになった、

14歳の俺に両親は40万近く支払っていかしてくれた。

今仕事をしている身になって思ったけどこの額を払ってくれた両親には頭が上がんない。

 


初めて長期で海外フランスに行った。

何もかも新鮮で終始感動の嵐だった

だけど、サッカーできたから観光はフランスではほとんどしてない。

帰りの飛行機でエッフェル塔が見えたくらいやった。

3週間があっという間に過ぎて日本に帰国した。帰国後の全体会でチームのスタッフが振り返りの動画を作ってくれた。

今考えたらただの繋いだだけの動画だったけど俺の中でかなり刺さった、

ここで感じたのが【記録】っていいなって思った。

 


進んで、中学三年の高校を決める時。

俺の母校である三高に練習会に行った、

練習の後に視聴覚室で選手権前に流したメンタルビデオを見せられた

それを見た俺は、全然自分が関わったことのない人の動画なのに鳥肌が立って感動した。

わからんけど、サッカーまじ頑張りたいって感情的になった。

そして結局三高に進学した。

 


余談だが、第一志望は山梨県にある帝京大三っていう高校に本当は行きたかった。

4時間かけて練習会に何回も参加した。

全国から100人近くセレクションに来て俺も受けたけど

結果は落ちて入れなかった。帰りの車でクソほど泣いた

その挫折は今思えばよかったかもしれない

三高に入ってすぐ帝京大三と試合があって勝って見返すことができた。

 


高校生活は親元離れて寮に入ってたから当然全部自分でやらなきゃ行けない毎日だった。

1年生の頃はホームシックになって母さんに会いたくなったのも恥ずかしい話w

そんで高校から携帯をもつようになったから写真も動画も自由に取れる。

遠征先にいって綺麗な景色さえあれば写真をパシャパシャとってて

チーム内で一番【写真】といえばたいせいと言われるくらいになった。

そして、チームメイトの母さんが一眼レフで俺たちをよく取ってくれてて

その写真をみてもっと興味が湧いた。いや感動した、

 


サッカーサッカーの毎日だったある高校2年の時

同期のチームメイトが突然交通事故で亡くなった。

俺は遠征先の試合中ベンチにいて、試合中なのに聞いた

同い年が死ぬなんて考えられなくて現実を受け止められなかった。

 


その亡くなったチームメイトの母さんが一眼レフでよく俺らを取ってくれてた人だった。

葬式の時には昔の写真動画、たくさんの記録があった。

人が亡くなって不謹慎かもしれないが、その時写真や動画の価値をものすごく感じた。

記録はどんな形であれ人の感情を動かす力も持ってると。

た。

俺たちの記録と共に亡くなった仲間の写真

全てが詰められていた。

俺はめちゃくちゃ泣いた上にその動画でモチベーションが上がった。

何もかも頑張れた。写真もそうだけど

動画って感動させる上に人の力にもなることを強く感じた。

ここが俺の一番動画のターニングポイントだったかもしれない。

結果夏のインターハイで全国に行けたのも

動画の力もあったからだと思うな。

 


それから選手権に向けて新たに頑張って

また全国を目指してた。

次は負けたら引退の大会だから、インターハイ以上に気合を入れて俺らは毎日練習してた。

だけどある練習の紅白戦にただ1人だけトップチームにいた1年生に

 


それから俺らが最上学年になって、ある夏合宿の夜にメンタルコーチが

メンタルビデオを作ってくれた。

俺たちの記録と共に、亡くなった仲間の写真

全てが詰められていた。

俺はめちゃくちゃ泣いた上にその動画でモチベーションが上がった。

何もかも頑張れた。写真もそうだけど

動画って感動させる上に人の力にもなることを強く感じた。

ここが俺の一番動画のターニングポイントだったかもしれない。

結果夏のインターハイで全国に行けたのも

動画の力もあったからだと思うな。

 


それから選手権に向けて新たに頑張って

また全国を目指してた。

次は負けたら引退の大会だから、インターハイ以上に気合を入れて俺らは毎日練習してた。

だけどある練習の紅白戦にただ1人だけトップチームにいた1年生に空中戦後の着地で

足を踏まれて怪我をした。

痛かったけどプレーできた俺はその次の日の公式戦に出た。

怪我の状態で痛み止めまで飲んで出たけど限界で歩けなくなった。

次の日病院で診断してもらったら足の指にヒビが入ってて

診断結果は全治2ヶ月だった。

そして更に運が悪いことに選手権開幕まで2週間。

接触した1年生は、その姿を見て泣きながら謝ってきた。

俺も立場が逆だったら相当申し訳ない気持ちだと思うけど

本気でやってたからこその出来事だったからなんとも思わなかった。

そこからみんなの練習をウエイトルームから眺める毎日になった、

ちょっとでも復帰した時いい状態で戻るために死ぬほどリハビリをした。

朝練に行って午後リハビリして、寮の近くの病院でバイク漕いで、酸素カプセルに1時間入って

できる限り尽くした。

だけど毎日切磋琢磨して練習して頑張っている中に自分んが入れない悔しさか、

ある日マネージャーが「大丈夫、たいせいくんをみんな待ってる」

って言う言葉をかけてくれた。その後1人ですんげー泣いた。

そこで俺にもう一つ自分自身の状態の他に力になれることを思いついた

それが【動画】だった。

俺はメンタルコーチに相談してみんなのためにビデオの提案をした。

そして初めて構成を考えた。これが俺の本当に最初に動画制作に携わった時だった。

今でも鮮明に覚えてる。みんなの写真集めてメッセージもらって、こっそり動画撮って、、

編集自体は先生がしてくれた。

今でも実は何人かしか知らないけどこのことは言ってない。

 


それを試合の前に見せたら、みんなはすごく泣いてた。

表情や涙を見て少しでも力に慣れてるならそれだけでよかった。

でも選手権の結果は俺が復帰する3日前に負けてしまった。

夏の王者だったのにベスト16で負けた。

 


まだここからがドラマになる話だけど

長すぎるからここまでにしとく。

 


俺の動画の原点は、サッカーだったって思ってたけど。

深掘りして記事として書いてわかった、

サッカーも一つだけど、誰かのために少しでも力になれるのが動画でそれに対して

敏感だったからかもしれない、そして単純に感動しやすい。

 


原点は大学だと思ってたけど、冷静に考えたらここだった。

動画のクオリティや知識って大事だけど

改めて本質ってなんなのかわからないや、、

なくても感動するもの作れるし評価される。

 


長々とタイピングしてたらこんなに書いてたw

自分自身を探るのも悪くないな。

 


結論

大学サッカーも高校サッカーも全部含めて

サッカーが今の人生を繋げてくれた。

 


とりあえず仕事しすぎたから今週はギャンギャン遊んじゃうよme

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

1年振りのブログ

ブログでも続けようかなって思ったけど長文を書く継続力は俺には無かった。笑

だけど、書きたいときに書くことにしよう。

最近こんなことを思う。

[経験の価値]

挑戦することって、簡単なようで難しい。

人生の中で自分の時間は自分の選択でしか自分にはならない、そんな中で俺はサッカーを18年間やってきた。ただやってきたんじゃなくて本気でサッカーをやっていた。そして、大学を卒業してサッカーという環境がなくなった。社会人チームに入れば環境を作れるが俺には映像という魅力的なものがあったからその環境を選択した。最初は趣味でやってたけど周りの評価だったり感動することが多くてもっとやりたいと思ったら本気になってた。

体を使うスポーツとは違って技術職。

まさか自分が10年前にこんなことやってるなんて想像もつかなかった、だけど簡単な道じゃなかった。やっぱり何事も上には上がいるのは現実。それは経験やセンスが物語っているって俺は思う。映像しかやってこなかったやつはそりゃ映像強いし専門知識も豊富。サッカーもやってきた経験での実力。だけど、その経験の中に失敗や挫折がどれだけあるかが挑戦できる幅をつくると思っている。具体的に言えば、俺は大学で2回手術した経験を持っている、長い間リハビリをしたのに怪我を繰り返し、練習でみんなやってる中ピッチの外でリハビリトレーニングの日々を送っていた。とっても悔しかったけど復帰したときより良い状態で戻れるよう筋トレや体幹をしまくった。そしたら体がアホみたいに大きくなって細かった印象がなくなった。

ポジティブに捉えると、怪我をチャンスに変えれたのかもしれない。ここでの経験はどん底まで突き落とされたけど、地道にやって何かを変える事も出来る。そしていろんな選択肢があると。だから失敗や挫折は俺にとってはチャンスだと思える。それを証明できるのが経験。

そしてそれが今仕事でかなり生きているから何があっても最低限折れない自信がついた。

だからどんどん挑戦して失敗して強くなっていくことが今の俺を作ってるのかもしれない。

公言と現実

さまざまなツールで、良い言葉や、批判や、影響力がある言葉が存在するなかで、人を変える一番の近道は[環境]だと思う。

サッカー=グラウンド、テレビ=家、店

ビール=居酒屋、スーパー、目標=目標に関係する人との接し、といったことだと俺は思う

何が正解な生き方で、正しい道かわ自分次第ということを自分で分析することが多い、俺ならサッカーやりながら映像をやっているが1億3000人近くの日本の人口で評価してくれるのは3000行くか行かないか。いやもっとあるかもしれないあるいはいないかもしれない。たったそれだけ、本当にそれだけ。俺は身近な人達には評価されて嬉しいけどやっぱり評価の環境が変わるとだいぶ現実を知る。ここで思ったのがすごいって言われるのは100がプロフェッショナルなら1だと思う。すごいって言われてからスタートな気がする。仕事やプライベートで映像やっててもそれを深く感じる、ただカッコいい動画を作って満足している、評価されてる自分に満足している。現に俺は正直そう。何を伝えたくてどんな表現をしたいのか、映像としての軸をもっと考えないとまじ終わってく気がする。今は撮影機会増やして色々学んでるけどプロフェッショナルなるなら、なんかを犠牲にせないかん。その覚悟もない俺はいつまでたっても成長なんてできない。サッカーだってスタメン取れない、映像も中途半端、学校もただいってるだけ、最悪だと思う。これが今の現実な気がする。お金をもらうためにやってるようじゃまじダメだと思う、その人のために120%のことをやりお金が付いてくる。そして生き残ってまた頼まれると感じる。何のためにやって何のために映像を取るかをもっと考えなきゃならんわ。だから環境という最大の状況を良くするために見つけたい。

アナザースカイ

毎週金曜日23時から放送しているアナザースカイは皆さんもご存知だと思うが、俺は毎回見方を変えている。それはいくら興味ない人でもかけ離れてる人でも、文字と映像を集中してみてその人のことを知ろうとすること。だいたい人と人との接点とか会話っていうのは何人かいて話してわかることも多いが、やはりその人のを引き出すには、一対一の状況ではないといけない。それは全てにおいてである。

そして、アナザースカイを毎回見る中で単純に好きな音楽が流れたら興味が湧いて見る見方もあるが、映像のインサート、言葉の使い方のカット、文章の組み合わせ方、見方を変えればとても刺激あることがたくさんある。そして一番の強調素材として、ナレーターの存在だ。ナレーターがいることによって、よりよく映像と合わせ情報を伝える。そしてテロップで出た言葉にさらに強調性を表現できる。おれは映像を始めてからテレビでみるあらゆる表現の仕方に興味が湧いた。アナザースカイが好きな理由は映像の使い方とbgmとテロップの出し方ナレーターその点が俺の中で興味を寄せた。

そして、自分の人生に影響を与えてくれる。

全てがいい人ではないが、自分の人生に引っかかる人との人生観というのは、とても素晴らしいと思う。ぜひ、アナザースカイの見方を変えてみてほしい、もっと感動、感銘する。

毎日の時間

毎日同じように生きて、理由もなく過ごしてる時間が多い人が多いなって感じる。何の為に誰かの為に考えて毎日過ごしてる人がどれだけいるだろーか、少なくとも俺はその毎日の時間の中で理由もなく過ごしてる時間が多いって感じる、映像もサッカーもやってるけど、まだ半分以上行かないって感じる、常に何か成長でき目的の為に時間を投資する、言うのは簡単であるが、行動となると本当に大変だって感じる。大学生なってから平均9時起きというダラダラした生活、親や妹、兄はみんな7時前には起き活動している、正直ほんとにだらしない。でも人には人のやり方がある。それに伴うならいいが、そーはいかない。もっと、なんのために生きてなんのために頑張るかということに対して真剣に考えないと行けない。日本には大義がないから自由に生きられる。しかしその中で理由を見つけ頑張ることで周りと差をつけることができる。俺はいまは映像に真剣だが、正直100%捧げているかと言われたら、捧げていない。サッカーと中途半端。だけどプラスに考えれば頑張れる選択が目の前にあること。

頑張ることって、簡単に見つけ出せそうで出すことが出来ない。100%これのためにやってるって言える何かを探すため日々先ずは目の前のことを120%やること。それが優先。

Eye land fes 撮影を終えて

昨日アイランドフェスという、熱海で初開催のフェスのオフィシャル映像のため撮影に行きました!今回のイベントは初開催ということでたくさんのアーティストがきて、多くの盛り上がりを見せてくれました!

その中で、pizza party film crewとして参加してやりましたがメンツがみんなすごい!わら

初めてあったRyoさんという人に僕は驚きを隠せませんでした。機材が素晴らしく、NDフィルターやレンズアダプターなど、小さいが力を発揮するため多くの機材を持っていた。

そこで自分の知識の無さを痛感した。全然カメラのこと知らないんだなって思いました。

f値とか全然わからないですし、マクロレンズも今日初めて知った。そして広角魚眼レンズも初めて使ったし、こーゆ現場で知識がないのに撮影していて、仕事してて大丈夫なのかと思った。しかし、今回の撮影でたくさん学ばなきゃという焦りからこれからめっちゃ頑張りたいっておもった。だからもっともっと挑戦していきたい!