Teson Taisei

遊牧民の人生

動画の原点

動画を始めた原点。

 


昨日あるサッカー選手に言われた。

なんでサッカーずっと本気でやってきたのに、

動画にはまって仕事してるん?って、、

 


そこで今日朝から動画の原点を深掘りしてみた。

 


そもそも俺は景色に敏感で感動することが多かった。

小学生の頃、あるテレビ番組で「世界の絶景100選」がやっていた。

俺は見るたんび感動して、録画して何回も見た気する、、

世界遺産をテレビで見てから、小学生の夏の課題である自由研究のテーマは世界遺産をやった。

気づいたら3年連続とかやってたわww

当時覚えてるのが、マチュピチュモン・サン・ミシェル、グランドキャニオン、エアーズロック

とか研究してたのが記憶にあるわ。

 


景色も、もちろん感動するけどもう一つ振り返って敏感なことがあった。

それは、結果に対する感情。小さい頃から泣いたり驚いたりしてたな。

 


そして人生の生活の一部だったサッカー。

3歳から初めて最初は母さんの勧めで始めたけど、

マジで練習に行くのが嫌だった。仮病使って休んだり、泣いて行きたくないってだだこねたり。

それでも続けてたら自然と好きになってて、家でもやるくらいなってた

だけど、やっと慣れて楽しくなってきたときに親父の仕事の転勤が決まって長野に行くことになった。

死ぬほど嫌だった。。嫌すぎて家出した記憶あるわw

でも結果が出た以上しょうがなかった。

初めて過ごしたことのない環境にいくのは精神的にきつい、

方言の違いや、利便性の違い、

だけどサッカーはそんなもんどーでもよかった。

新天地ですぐ慣れたのもサッカーがあったからかもしれない。

 


そんで中学2年生の時長野県選抜でフランス遠征に行くことになった、

14歳の俺に両親は40万近く支払っていかしてくれた。

今仕事をしている身になって思ったけどこの額を払ってくれた両親には頭が上がんない。

 


初めて長期で海外フランスに行った。

何もかも新鮮で終始感動の嵐だった

だけど、サッカーできたから観光はフランスではほとんどしてない。

帰りの飛行機でエッフェル塔が見えたくらいやった。

3週間があっという間に過ぎて日本に帰国した。帰国後の全体会でチームのスタッフが振り返りの動画を作ってくれた。

今考えたらただの繋いだだけの動画だったけど俺の中でかなり刺さった、

ここで感じたのが【記録】っていいなって思った。

 


進んで、中学三年の高校を決める時。

俺の母校である三高に練習会に行った、

練習の後に視聴覚室で選手権前に流したメンタルビデオを見せられた

それを見た俺は、全然自分が関わったことのない人の動画なのに鳥肌が立って感動した。

わからんけど、サッカーまじ頑張りたいって感情的になった。

そして結局三高に進学した。

 


余談だが、第一志望は山梨県にある帝京大三っていう高校に本当は行きたかった。

4時間かけて練習会に何回も参加した。

全国から100人近くセレクションに来て俺も受けたけど

結果は落ちて入れなかった。帰りの車でクソほど泣いた

その挫折は今思えばよかったかもしれない

三高に入ってすぐ帝京大三と試合があって勝って見返すことができた。

 


高校生活は親元離れて寮に入ってたから当然全部自分でやらなきゃ行けない毎日だった。

1年生の頃はホームシックになって母さんに会いたくなったのも恥ずかしい話w

そんで高校から携帯をもつようになったから写真も動画も自由に取れる。

遠征先にいって綺麗な景色さえあれば写真をパシャパシャとってて

チーム内で一番【写真】といえばたいせいと言われるくらいになった。

そして、チームメイトの母さんが一眼レフで俺たちをよく取ってくれてて

その写真をみてもっと興味が湧いた。いや感動した、

 


サッカーサッカーの毎日だったある高校2年の時

同期のチームメイトが突然交通事故で亡くなった。

俺は遠征先の試合中ベンチにいて、試合中なのに聞いた

同い年が死ぬなんて考えられなくて現実を受け止められなかった。

 


その亡くなったチームメイトの母さんが一眼レフでよく俺らを取ってくれてた人だった。

葬式の時には昔の写真動画、たくさんの記録があった。

人が亡くなって不謹慎かもしれないが、その時写真や動画の価値をものすごく感じた。

記録はどんな形であれ人の感情を動かす力も持ってると。

た。

俺たちの記録と共に亡くなった仲間の写真

全てが詰められていた。

俺はめちゃくちゃ泣いた上にその動画でモチベーションが上がった。

何もかも頑張れた。写真もそうだけど

動画って感動させる上に人の力にもなることを強く感じた。

ここが俺の一番動画のターニングポイントだったかもしれない。

結果夏のインターハイで全国に行けたのも

動画の力もあったからだと思うな。

 


それから選手権に向けて新たに頑張って

また全国を目指してた。

次は負けたら引退の大会だから、インターハイ以上に気合を入れて俺らは毎日練習してた。

だけどある練習の紅白戦にただ1人だけトップチームにいた1年生に

 


それから俺らが最上学年になって、ある夏合宿の夜にメンタルコーチが

メンタルビデオを作ってくれた。

俺たちの記録と共に、亡くなった仲間の写真

全てが詰められていた。

俺はめちゃくちゃ泣いた上にその動画でモチベーションが上がった。

何もかも頑張れた。写真もそうだけど

動画って感動させる上に人の力にもなることを強く感じた。

ここが俺の一番動画のターニングポイントだったかもしれない。

結果夏のインターハイで全国に行けたのも

動画の力もあったからだと思うな。

 


それから選手権に向けて新たに頑張って

また全国を目指してた。

次は負けたら引退の大会だから、インターハイ以上に気合を入れて俺らは毎日練習してた。

だけどある練習の紅白戦にただ1人だけトップチームにいた1年生に空中戦後の着地で

足を踏まれて怪我をした。

痛かったけどプレーできた俺はその次の日の公式戦に出た。

怪我の状態で痛み止めまで飲んで出たけど限界で歩けなくなった。

次の日病院で診断してもらったら足の指にヒビが入ってて

診断結果は全治2ヶ月だった。

そして更に運が悪いことに選手権開幕まで2週間。

接触した1年生は、その姿を見て泣きながら謝ってきた。

俺も立場が逆だったら相当申し訳ない気持ちだと思うけど

本気でやってたからこその出来事だったからなんとも思わなかった。

そこからみんなの練習をウエイトルームから眺める毎日になった、

ちょっとでも復帰した時いい状態で戻るために死ぬほどリハビリをした。

朝練に行って午後リハビリして、寮の近くの病院でバイク漕いで、酸素カプセルに1時間入って

できる限り尽くした。

だけど毎日切磋琢磨して練習して頑張っている中に自分んが入れない悔しさか、

ある日マネージャーが「大丈夫、たいせいくんをみんな待ってる」

って言う言葉をかけてくれた。その後1人ですんげー泣いた。

そこで俺にもう一つ自分自身の状態の他に力になれることを思いついた

それが【動画】だった。

俺はメンタルコーチに相談してみんなのためにビデオの提案をした。

そして初めて構成を考えた。これが俺の本当に最初に動画制作に携わった時だった。

今でも鮮明に覚えてる。みんなの写真集めてメッセージもらって、こっそり動画撮って、、

編集自体は先生がしてくれた。

今でも実は何人かしか知らないけどこのことは言ってない。

 


それを試合の前に見せたら、みんなはすごく泣いてた。

表情や涙を見て少しでも力に慣れてるならそれだけでよかった。

でも選手権の結果は俺が復帰する3日前に負けてしまった。

夏の王者だったのにベスト16で負けた。

 


まだここからがドラマになる話だけど

長すぎるからここまでにしとく。

 


俺の動画の原点は、サッカーだったって思ってたけど。

深掘りして記事として書いてわかった、

サッカーも一つだけど、誰かのために少しでも力になれるのが動画でそれに対して

敏感だったからかもしれない、そして単純に感動しやすい。

 


原点は大学だと思ってたけど、冷静に考えたらここだった。

動画のクオリティや知識って大事だけど

改めて本質ってなんなのかわからないや、、

なくても感動するもの作れるし評価される。

 


長々とタイピングしてたらこんなに書いてたw

自分自身を探るのも悪くないな。

 


結論

大学サッカーも高校サッカーも全部含めて

サッカーが今の人生を繋げてくれた。

 


とりあえず仕事しすぎたから今週はギャンギャン遊んじゃうよme